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2008年6月21日 (土)

マリアナ沖海戦直前の基地航空隊

・海軍中央は敵機動部隊襲来時、1航艦がこれを撃退出来ると考えていたか?

直前ということであれば答えはNO。1航艦主力がビアク方面へ移動したのは別に敵の機動部隊が来そうというわけでもなく、純粋に基地航空戦へ対応するためのものであった。61航戦の部隊は基地航空戦のために編成されたのだから、それはそれで正しい使い方でしょう。しかし、その代償としてカロリン、マリアナ地区は若干の戦闘機と哨戒機のみとなり、ここに機動部隊が来てしまえばひとたまりもないとは認識していた。

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コメント

お初です。初心者なのですが宜しくお願いします。

一航艦は、「基地航空部隊を以て彼機動部隊の決戦前、少なくとも敵機動部隊の航空母艦兵力の約三分の一を撃破し…」(淵田美津雄 奥宮正武共著「機動部隊」より)を求められていたそうですが、それでは各個撃破されるのは目に見えていた気がします。

尤も一航艦が、機動艦隊到着を待たずに壊滅したのは、ハルヘラマへの転進の他にも、手持ちの兵力が集まり次第、取り敢えず投入した結果、兵力の逐次投入となり兵力が擦り切れてしまったせいでもあると思います。
これは、角田中将の「見敵必戦」の精神のせいでしょうか?淵田美津雄氏は、「角田は恐らく、真珠湾の南雲、レイテ湾の栗田に並ぶ第一級敗戦責任者であろう。」(甲斐克彦著「真珠湾のサムライ 淵田美津雄」)とおしゃっていますが(マリアナ沖海戦前後は指揮出来なかったようですが)。

いつも思うのですが、日本海軍が戦前から研究していた「減漸戦法」は、実施してもただ各個撃破されるだけだったと思います。戦前の名戦術家末治信正も、それを恐れていましたし、「マリアナ沖海戦」がその好(悪?)例だと思っていますが、いかがでしょう?

投稿: つかんぽ | 2011年4月 8日 (金) 21時13分

はじめまして。

>これは、角田中将の「見敵必戦」の精神~

「見敵必戦」は海軍兵学校で習う海軍のポリシーだと、今は亡き出身者の方(複数)に伺っております。ゆえに、角田中将は特別な考えの持ち主とは思っておりません。

>いつも思うのですが、日本海軍が戦前から研究していた「減漸戦法」は~

私は「漸減作戦」というのは本気で実施するとは考えていない、あくまでも戦備上の方便と思っています。現存する大正末期以降の軍令部の史料を見ると何時の時代でも対米戦に成算が立っていません。とはいえ、軍備は充実させたい。ゆえに「漸減作戦」という机上の空論にて成算があるように見せかけ軍備を行なってきた、と。

さて、拙著”マリアナ沖海戦”などをお読みになって疑問などございましたら、参考文献に記載されている文献を実際にお読みになることをおすすめいたします。
「防衛研究所史料閲覧室」にて閲覧可能なものが多いですし、一部はアジア歴史センターでネット環境でも閲覧できるものもあろうかと思います。(それぞれのサイトでご確認ください)

投稿: 川崎まなぶ | 2011年4月 9日 (土) 17時36分

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