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2011年2月の10件の記事

2011年2月26日 (土)

5月28日以降

戦闘機隊の出撃自体はあるのですが、この史料にはこれだけしか邀撃の記録がありません・・・。

5月28日
1010~1630 小型機70機、B-29 4機 南九州地区来襲 各基地上空制圧
紫電28機、零戦57機邀撃、4機撃墜、4機未帰還。

6月2日
0800~1020 敵小型機150機 笠之原、出水、宮崎、串良、知覧に来襲
紫電28機邀撃発進、佐多岬上空にてF4U 20機と空戦 13機撃墜

6月3日
零戦64機 陸軍第10次攻撃協同沖縄上空制圧 1325沖縄上空空戦 5機撃墜、8機未帰還。

0758~0915 敵小型機80機南九州地区来襲

6月22日
菊水10号作戦昼間攻撃

紫電50機 喜界島上空制圧、攻撃隊収容のため0930発進、空戦で7機撃墜、4機未帰還。
零戦66機、桜花隊直掩、沖縄上空制圧のため発進するも25機が引き返す。敵戦闘機48機と交戦5機撃墜、2機不確実、9機未帰還。

7月24日
邀撃のため紫電31機発進、佐伯上空にて1225~1300空戦、18機撃墜、6機未帰還。


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2011年2月25日 (金)

昭和20年4月29日~5月25日

この史料は5月に入ると記録が少なくなります。本来出撃しているはずの日でも記録がなかったりしています。

4月29日
0700~0930 B-29 50機鹿屋、50機他の基地へ来襲。
零戦13機、陸軍戦闘機12機 敵機動部隊上空制圧のため1500発進。

4月30日
戦闘機の消耗激しく、陸軍戦闘機の協力も得られず、昼間攻撃の成算なく攻撃取りやめ。

5月3日
1330ごろよりB-29 60機 南九州来襲。零戦50機、雷電20機により邀撃。撃墜1機
薄暮時、陸攻の着陸に引き続きB-24 3機が航空灯火点灯させ味方機を装い鹿屋基地に接近、気づけず奇襲攻撃を受ける。

5月4日
0730~0900
紫電35機、陸軍機15機 喜界島~奄美大島上空制空 13機撃墜
零戦48機、陸軍機30機 沖縄泊地制空 撃墜23機
未帰還6機

5月11日
零戦65機 沖縄泊地制空

5月14日
零戦54機 敵機動部隊上空制空 撃墜4機、未帰還4機

5月25日
紫電34機 喜界島~奄美大島付近制空
零戦81機 沖縄上空制空
一部グラマンと交戦 1機撃墜

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2011年2月24日 (木)

昭和20年4月16日~4月28日まで

4月16日
紫電32機 奄美大島~喜界島間制空のため0630発進、0830ごろF6F24機と空戦 20機撃墜 9機未帰還
零戦52機 沖縄上空制圧
第1波戦闘316、戦闘313国分発進、第2波戦闘303、戦闘311鹿児島、第3波戦闘312笠之原0600~0630発進、沖縄北端付近にて空戦、第1波撃墜15機、5機未帰還、第2波7機撃墜、2機未帰還。

4月17日
零戦62機(203空、601空)敵機動部隊上空制圧、紫電34機攻撃隊進撃帰投路制空、一部喜界島付近にて空戦。零戦1機未帰還。

4月18日
0700~0830 B-29 60機来襲 鹿屋、笠之原、串良、国分を爆撃。

4月21日
0630~0830 B-29 280機来襲、宇佐、笠之原、出水爆撃、時限爆弾のため発着不能。戦闘機邀撃後各地に分散着陸。

4月22日
零戦60機 制空のため発進、第2波鹿児島及び喜界島付近にてF6F 36機と空戦、撃墜11機。自爆未帰還なし。

4月23日
鹿屋にあった大型機をより北方基地へ編微変更。雷電40機鹿屋へ集中配備。

4月27日
0900 B-29 70機 南九州来襲

4月28日
0830 B-29 130機宮崎基地爆撃 被害甚大
零戦25機 伊江島上空にてF4Fと空戦、3機撃墜、4機未帰還。
(第6航空軍戦闘機約36機と共同)

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2011年2月22日 (火)

5航艦戦闘経過から見る沖縄制空戦(その2)

4月12日
沖縄本島及び列島線制空 (徳之島上空制圧)
0700発進 陸軍戦闘機15機
1100発進 零戦24機 撃墜4、未帰還2
1130発進 零戦24機 撃墜2、未帰還12
1200発進 零戦24機
以上 合計撃墜20機

喜界島及び奄美大島付近制空

紫電34機1100発進1300喜界島上空F4U約40機と空戦約20機撃墜、未帰還8機

4月14日
制空隊錯誤のため大部が引き返したため捕捉攻撃ならず
零戦(203空、601空)、紫電(343空、601空)125機
※125機とは各隊の保有機全部のことかも?
視界不良にて錯誤を生じ大部引き返す。喜界島上空空戦。

4月15日
零戦10機(203空、601空)陸軍挺身戦闘機隊と協力沖縄中飛行場に対し薄暮銃爆撃制圧。

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2011年2月20日 (日)

5航艦戦闘経過から見る沖縄制空戦

「5航艦戦闘経過」は終戦直後に5航艦関係者がまとめた史料(だったはず)。間違いが多いが合っているところもある困った史料(個人の感想です)。

昭和20年4月6日制空戦闘
沖縄上空制空 零戦計104機
第1波32機 戦闘303
第2~4波各24機、15分間隔発進空戦30分
与論島上空F6F、F4U約30機と空戦、撃墜7機、自爆未帰還2機

紫電110機
奄美大島付近制空
1050発進6機引き返す、奄美大島上空にてバリカン運動

※発進時間より210空紫電隊10機の誤記。

4月7日
制空隊
601空零戦28機、203空零戦50機 1100発進21機引き返す。

4月11日
制空隊
零戦60機 203空、601空
紫電15機 601空
F6F8機と空戦

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九州沖航空戦~沖縄戦が始まったころの203空

昭和20年3月時点で203空は戦闘303、戦闘311,戦闘312で構成されていましたが、まもなく戦闘311が701空に編入され、3月18日を迎えます。
 3月18日九州各飛行場は早朝から敵艦上機の空襲を受け、203空も戦闘303、戦闘312の両隊も邀撃したものの、大きく消耗してしまいました。
 この戦闘後、桜花部隊の直掩戦闘機隊が消滅することとなり、721空戦闘305,306,307の搭乗員、機材約40機がそのまま戦闘312に、元の戦闘312は主に303へ転出する、という大きな再編成を行っています。それでも同じ5航艦701空戦闘311を含めても実働では60機ぐらいにしかならず、大村に展開し防空戦を担当してきた352空、そして練習航空隊の戦闘機担当の大村、元山、筑波、谷田部の各隊で編成している制空隊の進出が命じられ、これにより120機程度となり、菊水作戦の制空戦を闘うことになる。

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2011年2月13日 (日)

沖縄戦における海軍戦闘機隊

沖縄戦における海軍戦闘機って(防研に)記録が一部無くてよくわかりません。

343空にしても特定のものしか残っていませんし、零戦隊では203空関係、大村、元山、谷田部、筑波の各練空から派遣されているはずの制空隊のもの、352空、302空、横空からの派遣隊、これらは部分的に残っているだけです。

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九州沖航空戦における海軍戦闘機隊邀撃状況

来襲機数 18日858機、19日30機、20日10機(日本側判断)

邀撃機(延数) 203空92機、721空60機

戦果 撃墜36機、撃破7機

被害 29機

地上砲火による撃墜(九州地区) 43機

地上被害 大破炎上66機、中小破45機

以上、戦訓より

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2011年2月 6日 (日)

5航艦の零戦 昭和20年3月18日

昭和20年3月18日朝時点の5航艦零戦実動機数状況

・鹿児島 戦闘303 19機

・出水 戦闘303 13機

・笠之原 戦闘312 31機

・富高 戦闘306、307 64機

・国分 戦闘311 10機

・鹿屋 戦闘305 27機

計 164機

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2011年2月 5日 (土)

昭和19年10月24日

昭和19年10月24日、第2航空艦隊の各部隊はフィリピンルソン島各基地より出撃、ラモン湾の敵機動部隊攻撃へ向かいましたが、その時の戦闘308付の機関学校出身者の回想を読みました。

整備員らは台湾より飛行隊に先駆けて進出したものの、何時まで経ってもその飛行場には戦闘308の零戦がやってこない。そんな状況、10月24日早朝、朝もやの中総攻撃のため各隊の飛行機が出撃していくなか、1機の零戦が溝にはまり動けなくなっていたのを見つけたそうで、これがようやく見つけた戦闘308の、しかも飛行隊長機だったそうです。当時、戦闘308は飛行隊長は機関学校出身の蛭澤大尉で、早速みんで押し出したものの、蛭澤大尉は「縁起が悪いな・・・」とつぶやいて出撃された、とのこと(蛭澤大尉はこの出撃で未帰還)。

この飛行隊長機がその時見た唯1機の戦闘308の零戦だった、とのこと。相当混乱していたんですねえ。

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