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2011年6月の3件の記事

2011年6月26日 (日)

昭和20年3月19日の「フランクリン」攻撃

昭和20年3月19日「フランクリン」を攻撃したのはどこの隊なんだろうか。ちょっと気になるが個別に調べるには至っていない。攻撃を受けた時間が0700ごろとされているんですが、銀河とするならば、その時間で攻撃をかけられそうなのは攻撃406の金指大尉機1機(そうとうタイトなんですけど)のみになります。

さてさて、どうなんでしょうか。

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紫電の戦い

紫電はご存知のとおり主に341空で作戦に投入されました。その341空要務士の方の書いた日記がフィリピン戦末期のころの状況を描き出していますが、その中でも印象的なのが山口大尉機が基地上空、基地員の目の前で追い詰められ撃墜されるシーンでした。

それを見ていた基地員も、司令、飛行長以下その多くが地上戦で戦死されています。

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2011年6月25日 (土)

G-18という存在

福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 第12巻 日本軍艦建造史に艦本四部作成「計画番号表」というものが掲載されています。計画番号とは設計・改造のため艦本が使用していたもの(のはず)で、飛行機の”A6M”とかと似た感じのものです。この本に掲載されているものは昭和15年10月30日調整 17年6月8日改正というもので、航空母艦関係は下記の通りとなります。

G5 9850t計画のみ
G6 17500t計画のみ 模型番号583
G7 9600t大鯨第2状態
G8 18000t計画のみ
G9 「蒼龍」
G10 「飛龍」
G11 「翔鶴」
G12 ④航母計画のみ
G13 130号艦「大鳳」
G14 ⑤航母 50000t
G15 ⑤ 130号艦改
G16 ⑤ 飛龍改
G17 110号艦を航母へ改造 概案のみ

というように「鳳翔」、「赤城」、「加賀:」、「龍驤」がないのはともかく、昭和17年6月の時点ですでにG-17まで存在していることに注目しました。というのは戦時急増型として設計されたというG-18は、マリアナ沖海戦後に計画された、と言われています。しかし、G-17がミッドウェー海戦頃まで存在しているとなると、それから2年間航空母艦の新規設計がなかったということになります。そんなことってあるんでしょうか?G-18がミッドウェー海戦後の設計ということならば、わかる気がするんですが。

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