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2012年3月20日 (火)

攻撃第102飛行隊

昭和19年4月1日、母艦搭乗員を練成していた築城空を改名した553空艦爆隊を改編成したもので飛行隊長は引き続き阿部平次郎少佐であった。北東方面の作戦、主に対潜哨戒をおこなっていたが、そのうちに502空、701空へ所属が代わり、飛行隊長も攻撃103分隊長の松井大尉が着任した。機種は10月1日時点でも彗星三三型がわずかにあるだけで主力は九九艦爆という状況だった。

台湾沖航空戦がはじまると攻撃103と共に南下、10月14日の総攻撃に九九艦爆隊が参加するも敵を見ず、16日も台湾より出撃したものの敵を見なかった。

結局、敵と交戦ないまま、10月22日比島へ進出する。当時、比島にあった海軍部隊で戦闘機以外の部隊が30機以上稼働機をもちかつ作戦行動可能だったのはこの攻撃102と103の九九艦爆隊だけであり、九九艦爆の能力的な問題は無視されて攻撃の主力として扱われる。本来、彗星への改変が予定されており、一部が訓練中という状況だったのだが。

10月23日の総攻撃は悪天候のため中止となり、翌24日攻撃102、103の九九艦爆38機が634空九九艦爆と共に出撃するも、敵戦闘機の邀撃を受け飛行隊長松井大尉らを失い攻撃できずに終わった。

さらに第2波として701空彗星5機が発進するも敵発見を報じることはなかった。さらに翌25日にかけて再出撃が行われたが、敵を見ること無く終わっている。

ここからが本当の苦難の始まりで、稼働艦爆全力で特攻、すなわち体当たり攻撃が命じられる。そのため、九九艦爆はニコルスへ移動、特攻隊として出撃していった。

11月初旬に国分に滞留していた彗星が進出、作戦に参加するも11月15日付で攻撃102、103は内地帰還となり、生き残った隊員らが帰還した。

内地へ帰還した攻撃102は、攻撃5の内地残留隊員を含め急速編成され、12月761空に編入、再度比島へ、一部がダバオまで進出した。そこで主に特攻作戦に従事するもたちまち消耗し、台湾へ帰還した。

台湾帰還後、765空の隷下となり、沖縄戦をこれまた特攻を主に作戦する(飛行隊長の宮崎大尉も特攻戦死)。昭和20年7月1日付で解隊となった。

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