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2012年3月 3日 (土)

なぜ昭和20年4月24日なのか

昭和20年4月23日がクラーク方面海軍部隊が組織行動を断念し各部隊ごとに解散した日付らしいですね。その日じゃなくて翌日が行方不明者の戦死認定日になっているのは理由がおよくわかりませんが。。。

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コメント

4月24日にピナツボ山麓で、米軍の大規模攻撃があり、16戦区などは包囲攻撃を受ける状態で、数多くの戦死者を出したようです。そのため、それ以後の日に目撃証言がない人についてはその日に戦死したためだと処理されたものと思われます・・・実際には少数部隊で離脱に成功して、後に戦死や戦病死で全滅したために目撃証言が残らなかった人も多いと思いますが・・

投稿: たく | 2012年3月20日 (火) 22時35分

4月中下旬に米軍の掃討戦がなんどかあったが、戦死者が続出するような大規模なものは無かった。しかし、4月末の部隊解散後、北方へ移動していった集団は米軍や民兵により討ち取られたらしい(北方へ向かった集団の生存者は陸軍海軍問わずほとんど無し、とのこと)
むしろ4月以降は米軍が山岳部から撤収しており、16戦区などの生存者は米軍撤収後の元の陣地にもどり自活していた。とはいえ米軍の残していった食糧などを食いつないで何とか、というような状況だった、とのことです。

このような比島での地上戦は、生存者は肉体的にもですが精神的にものすごいダメージを受けていて、戦後、「絶対に話したくない」とおっしゃられる方も多かった、と聞いています。

投稿: 川崎まなぶ | 2012年3月24日 (土) 09時54分

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