« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月の5件の記事

2012年4月28日 (土)

新刊がでましたね

渡辺洋二氏の「異なる爆音」。元は航空ファンの記事、写真が少なめなんで、あまりメリットないのかも。

そして、吉野泰貴氏の「彗星」。昨日、出版されていることに気がつくありさまで、まだ未読でございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年4月21日 (土)

台湾沖航空戦の攻撃二六二

昭和19年10月12日、攻撃262の天山23機が2000ごろ沖縄小禄を発進、敵機動部隊攻撃に向かいます。うち雷装は15機、電探を装備し照明弾を投下する任務の直協機が8機でした。

このうち、9機が帰還したので、未帰還14機とされることが多いですが、実際に戦死者として氏名がわかっている方々は約12組です。これはこの9機というのが基地に帰投した機数であり、不時着機などが含まれていないためのようです。

さすがにペアは一部までしかわかっていません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

十試水上観測機

あまり大した話でもないんですが、忙しいなかちょっとまとめてみました。

当初の十試水上観測機は、採用にされなかった愛知の八試水偵、三菱の八試複戦を元に水陸互換の観測機として試作させ、そのうちの1社に追加試作ののち兵器採用するという計画でしたが、試作機はいずれも採用できるまでの性能を有してはいませんでした。そこで海軍は三菱機の発動機を換装した性能向上機で進める決断をしています。
その海軍が決定した時の史料を見たことはないのでわかりません。しかし、観測機は戦艦に載せる+訓練用ぐらいの数が生産されることが予定されていた程度でそれほど魅力がある機種とも思えません。三菱が瑞星搭載機の試作が始まったころには、巡洋艦、水上機母艦、水上機基地に供給されるより多くの需要のある十二試二座水偵の試作が始まり、愛知もこれに参加しますから別になんら不満はない、むしろ三菱の方が手間かかる機の試作で貧乏クジっぽい気がします。

日本海軍の場合、三菱で試作して兵器採用された機材を、多量生産は愛知でやる、ということもありえます。この十試観測機も、十一試艦爆が中島が兵器採用され愛知がされなかった場合には愛知での生産力があまってしまうため、生産を三菱ではなく愛知となることが計画sれていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年4月 8日 (日)

色見本電車

戦前の国鉄の鉄道車両の色といえば、そのほとんどがいわゆるぶどう1号とよばれる暗い茶色でした。煙吐きまくりのSLが主なので汚れやすいということがあったようですが、戦前の東京オリンピックに合わせて、赤色の試験塗色が施行されたそうです。東京オリンピックが中止となり幻になったそうです。

戦後、昭和21年になって電車の色を変更しようという話が出たらしく、色見本電車という試験電車が仕立てられました。1両ずつA:緑褐、B:青緑、C:赤茶、D:淡黄緑、E:黄緑、F:黒緑に塗り試験したそうですが、ほとんど話題にもならなかったそうです。ピンと来るでしょうが、陸海軍機の塗料を流用したと思われ、地味すぎたらしいです。

結局、昭和23年より一部線路を共用していた京浜東北線との誤乗防止と称して山手線が濃い緑色に変更されましたが、明度が茶色と変わらないため夜なんかは見分けがつかないなどメリットはなく、線路も別々になった2年ほどで元の色に戻されたそうです。

この塗料の出元は、「海軍物資が手に入ったため」とも「誤って納品された」という話があるそうです。濃い緑だったが、1両毎に少しずつ違っていたそうとも。

山手線はご存知のとおり昭和36年の101系投入時に黄色、昭和39年103系投入時に今のうぐいす色に変更されています。

飛行機の迷彩色なんか電車に塗っても、空襲時ならばともかく平時ではしょうがないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年4月 7日 (土)

天山と流星

流星は、攻撃5と攻撃256に供給される予定でしたが、生産数が上がらずに攻撃5だけで終わっています。ただ、攻撃256は攻撃5と同じ頃フィリピンから内地へ引き上げているのですが、「内地に帰還して流星に機種改変される」という話があったそうで、また天山が供給されたのでがっかりした、という回想を残している方がおられます。

天山一二型であれば260ノット、偵察装備ならば270ノットだせるんですが、それでも流星の300ノット、急降下可能というのは魅力的だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »