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2013年4月の7件の記事

2013年4月28日 (日)

203空戦闘303の戦い(捷号作戦初期)

10月22日 零戦29機、零輸1機台中よりバムバム基地へ移動 着陸時3機大破
23日 ラモン湾東方機動部隊攻撃 零戦18機参加
24日 0710ラモン湾東方機動部隊攻撃 零戦16機参加 1010バンバン着
634空、653空協同戦果 グラマン10機うち不確実3 未帰還11機内二〇三空2機

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2013年4月27日 (土)

戦闘第162飛行隊

601空に新設された戦闘爆撃隊で飛行隊長は肥田大尉。戦闘161以上に飛行機供給がなかったようで、台湾沖航空戦、捷号作戦共に出撃機は0だった。11月15日に解隊。分隊長の青野大尉らは神武特攻隊として比島へ進出、金剛隊として出撃している。若手らは第2次K攻撃部隊の計画がなくなったためか他部隊へ転出となっている。

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戦闘第161飛行隊

昭和19年8月に601空艦戦隊を改編して誕生。飛行隊長は小林大尉で旧652空艦戦搭乗員を基幹として編成されていたが、人員は2個飛行隊分あったにもかかわらず、搭載予定母艦の作戦可能時期が20年以降であったため零戦の供給が20機ほどで訓練が進まず、中練など集めて若年者へ訓練をしている状況だった。台湾沖航空戦には出撃しなかったが、捷号作戦で小林大尉ら16機を「瑞鶴」へ派遣するも小林大尉ら12名を失った。11月15日に解隊。搭乗員らは601空の艦戦隊に残留、K攻撃部隊で比島、若年者は他の部隊へ転出している。

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2013年4月23日 (火)

零戦の事故で殉職された下川大尉の生前謹書

遺言

1.武道奨励

2.至純至誠

3.穏健明朗

4.人和第一

5.責任尊重

(略)

諸教官諸先輩の御鴻恩に深謝奉り級友御一同の御健斗を祈る

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2013年4月21日 (日)

901空

901空は対潜哨戒を主任務とする部隊として昭和18年12月に編成されています。当初は本隊を館山におき、九七式飛行艇、九六陸攻を装備し、各地に4~6機ほどの派遣隊を出していた。その派遣隊の一つであるサイパン派遣隊もサイパン上陸作戦で全滅するなど犠牲も多かった。その後、各地に散らばる航空隊を吸収し拡大していっている。

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2013年4月14日 (日)

爆装零戦

マリアナ沖海戦後、基地航空隊の零戦隊でも爆装工事が進められます。これは後に始まる特攻隊の前触れという訳ではなく、例えば1航艦の201空には零戦が4個飛行隊に対し彗星は1個飛行隊(他に銀河1個)、2航艦でも221空の零戦4個、紫電2個飛行隊に対し彗星1個、銀河2個、3航艦の252空零戦4個に対し彗星1個という状況で、攻撃の主力たる彗星艦爆を装備する飛行隊がそもそも少なかったのと、さらにはその彗星に搭載するアツタ31、32型の故障が露呈して稼働率の悪化、生産の縮小が重なってしまいます。そのため、零戦、紫電の爆装工事が進められることになるのですが、台湾沖航空戦の前までに工事が終わっていたのは221空の零戦の少数機にとどまっていました。

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2013年4月 6日 (土)

戦闘316

最近、ちょっと気になったのが戦闘第316飛行隊のことです。この戦闘飛行隊は、編成時は水上機搭乗員らをあつめた部隊でしたが、サイパン、硫黄島の邀撃戦で壊滅します。その後、252空で再編成され台湾、フィリピンへ転戦していきますが、19年11月の再編成で201空配下となり、主に特攻作戦に従事します。その後、252空の配下となり内地で再建、沖縄戦と戦いますが、幹部級が特務士官と若い予備士官ばかりの部隊になっています。

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