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2013年5月18日 (土)

偵察第11飛行隊

 昭和19年7月10日、131空隷下で発足。編成基地は横須賀で、搭乗員も横空艦偵隊が主体であった。装備機は二式艦偵、百式司偵、彩雲であり、8月には木更津へ移動する。この部隊は夜間攻撃を主体とするT攻撃部隊に編入されることとなるが、米空母泊地奇襲作戦である丹作戦の直前偵察も担うこととなっており、そちらは偵察11の人員機材にて偵察12を編成し、担うこととなる。

9月下旬、10月上旬のマリアナ偵察が最初の作戦であった。10月10日付で762空に編入され台湾沖航空戦に参加、下旬の比島沖海戦には参加せず、11月のT攻撃部隊比島進出には参加している。

12月より偵察12と入れ替わり、香取へ進出し、硫黄島、トラックへ彩雲を派遣しマリアナ偵察を実施。2月には鹿屋へ移動となり、3月の九州沖航空戦でかなりの被害を出してしまう。

3月20日付で801空となるが、兵力の消耗が激しいため横空、210空からの補充の他に偵察4、偵察102の派遣隊、陸軍の百式司偵の協力の元、沖縄戦で連日索敵機を出撃させている。

5月には171空が新設され、偵察4と共に編入される。しかし、5月下旬には兵力の消耗が激しいため偵察4と交代し松山へ、さらには戸次に後退して終戦を迎えた。

台湾沖航空戦以降、彩雲を主用し、その結果もっとも多くの彩雲を失った(38組の未帰還)部隊である。

飛行隊長は時枝大尉(66、殉職)、菅原大尉(64)、金子少佐(60)、阿部少佐(62)であった。

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