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2013年5月11日 (土)

偵察第4飛行隊

昭和19年7月10日付新編成され、141空に編入された。飛行隊長は66期の立川大尉で、当初の機材は二式艦偵で、主力は都城、一部を鈴鹿に派遣し訓練を行っていた。
昭和19年10月の台湾沖航空戦に偵察3と共に哨戒、触接を行い、主力はフィリピンへ進出。11月15日付の編成替にて、飛行隊長が66期の橋本大尉となり、彩雲で訓練をしていた偵察3の残留隊とK攻撃部隊の旧偵察61が偵察4に加わることとなり、増強されてはいたものの、未帰還機の他、空襲で機材を失うなど被害が蓄積し、1月5日の索敵にてフィリピンでの活動に終止符がうたれた。退却は多くの隊員らが徒歩でツゲガラオに移動、そこで空輸便にて帰還してきたが、飛行隊長の橋本大尉ら一部は台湾に先行し、台湾から索敵を続けていた。

昭和20年2月1日付、1343空に編入され松山にて再建が始められる(一時期、飛行隊長が67期の西山大尉となる)。3月18日松山より索敵に発進した彩雲が敵機動部隊を発見。翌19日索敵に向かった2番機が駆逐艦2隻を発見報告した後発動機不調となり引き返す途中、敵艦上機に撃墜されてしまった(地上から目撃報告により敵機へ体当たりしたものと判定された)。
4月に入ると苦戦する偵察11の増援のため偵察4の彩雲隊は102と共に派遣隊を進出させる。5月5日付、171空に編入された。6月には偵察11に代わり鹿屋へ進出、沖縄方面の索敵に従事しつつ終戦を迎えた。

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