« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月の1件の記事

2015年2月 6日 (金)

252空ムンダの4日間

昭和17年12月に252空の零戦24機がムンダ飛行場に到着後、僅かな期間で実動機が1機になってしまった。そんな話は見たことがある方もいるでしょうけども、この252空は9月に編成された部隊であり、その搭乗員の5割だか6割だかは練習航空隊卒業して間もない方々で、それらの方々は252空で初めて零戦に乗った、ともいわれています。まあ、それがホントなのかちょっと調べてみました。

昭和17年12月23日0900、ソロモン諸島ムンダの飛行場に252空零戦22機が到着する。早速、1015にはF4F、SBDなど25機が来襲、塚本大尉ら15機が邀撃、撃退する。
しかし、24日からはB-17の夜間爆撃、早朝から戦爆連合がやってきて零戦8機で邀撃、2機が未帰還となり、その後の第2波の邀撃はまったく出来ず、滑走路は銃爆撃にさらされる。
25日は夜間爆撃があったものの、上空哨戒にあがった零戦隊は敵機と空戦にはならなかった。
12月26日、上空哨戒に出ていた零戦6機が着陸しはじめた時にP-39の襲撃があり、5機が炎上、10機が被弾。明日の実働機は激減し3機と報告される。
27日は零戦6機が上空哨戒を終えたところで戦爆連合が来襲。2機撃墜を報じた代わりに2機が未帰還、2機が不時着大破の被害を出し、「明日の実動機は1機」まで減少してしまった。
事ここに至っては撤収の他なくなり、28日ムンダにいた零戦のうち、3機がラバウルに帰った。搭乗員らを救出するために陸攻3機がムンダに派遣されるも、着陸中にP-39の襲撃をうけて1機が炎上。残りの搭乗員らの撤収は年を明けてからになっている。

邀撃戦の被害累積も問題だったが、それ以上に問題だったのがムンダの通信設備が不良で、発信はともかく受信に問題が有り、命令が受領できないと報告している。
また、ムンダは敵機が来襲してから邀撃機を発進させるのでは間に合わず、予め上空哨戒を出さねばならなず(しかも、26日、27日と着陸時を見計らったように襲撃される)、搭乗員らが疲弊させていった。

1回「津軽」の上空直衛にあたるために発進したはよかったが予定地点に「津軽」は見当たらず虚しく帰投している。せっかくガダルカナルの至近までやってきながら邀撃に追い回され、侵攻作戦に手がまわっていない。

と、走り書きしてみる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »