カテゴリー「日本海軍の艦上機と水上機」の51件の記事

2013年8月25日 (日)

形式の甲乙丙

昭和19年10月に海軍飛行機のいつくかが兵器採用されています。これが最後の飛行機の兵器採用となっておりますが、雷電三一型とかいくつ作られたのかよくわからん飛行機も採用されています。

ところで、このタイミングで武装の差異でも飛行機の形式が分けられるようになりました。例えば、零戦五二丙型とかはわかるんですが、複座機の旋回機銃の差異で形式わける必要ってあったのか?と思っています。

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2013年5月19日 (日)

海軍の零戦に対する信頼度

零戦神話とかなんとか言われることがあるかもですが、当の海軍首脳部が零戦についてどのように考えていたのか、あまり話題にならない気がします。対米開戦前の判断、進攻作戦である第1段作戦時、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦の空母戦、ガダルカナル攻防戦、ソロモン諸島攻防戦、対機動部隊邀撃戦、ラバウル防空戦、トラック、マリアナ、パラオ邀撃戦、マリアナ諸島防衛戦、台湾沖航空戦、比島沖海戦、比島防衛戦、関東防空戦、九州沖航空戦、そして沖縄戦とそれぞれどのような認識だったのか、現場の搭乗員らの意識と同じなのか、異なるのか、興味深いところです。

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2013年4月14日 (日)

爆装零戦

マリアナ沖海戦後、基地航空隊の零戦隊でも爆装工事が進められます。これは後に始まる特攻隊の前触れという訳ではなく、例えば1航艦の201空には零戦が4個飛行隊に対し彗星は1個飛行隊(他に銀河1個)、2航艦でも221空の零戦4個、紫電2個飛行隊に対し彗星1個、銀河2個、3航艦の252空零戦4個に対し彗星1個という状況で、攻撃の主力たる彗星艦爆を装備する飛行隊がそもそも少なかったのと、さらにはその彗星に搭載するアツタ31、32型の故障が露呈して稼働率の悪化、生産の縮小が重なってしまいます。そのため、零戦、紫電の爆装工事が進められることになるのですが、台湾沖航空戦の前までに工事が終わっていたのは221空の零戦の少数機にとどまっていました。

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2012年12月24日 (月)

戦闘機万能の時代へ

 対米開戦当時、母艦部隊であれば、偵察は艦攻、爆撃は艦爆・艦攻、雷撃は艦攻といった機種が担当していました。ところが、これら任務が徐々に単座の戦闘機へ移行していきます。まずは爆撃で、これはマリアナ沖海戦で戦爆隊として実現しています。また、基地部隊では戦闘機を近距離偵察に向かわせることがしばしば行われています。また、マリアナ沖海戦では米軍もF6F2機1ペアの長距離偵察を行なっています。一方雷撃の方は、戦闘機でも携行な魚雷の開発が行なっています。

つまり、母艦部隊でも戦闘機を主体とする形になっていく、ということです。

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2012年12月 2日 (日)

速度が出ない問題

2号零戦(32型)とか、思ったより速度が出ない機体がいくつか出ましたが、これらの機体は振動問題を抱えているんですよね。そのため、速度を発揮できないプロペラの搭載していました。終戦直前になってこの振動の原因がわかり、解決しペラを交換すると速度がかなり向上したと伝えられています。

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2012年7月 1日 (日)

彗星の話

彗星三三型は、彗星の発動機を金星に換装したものですが、どのくらいの性能を(計算上)期待していたのかの記録が残されています。

ざっくり言って、彗星一二型以上の速度が出せる、という試算になっていました。実際にはそこまで出ませんでしたが、その計画速力って、一二型のそれと同じぐらいなんですよね。計算方法に問題があったのか、それとも別の問題があったのか。

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2012年4月 7日 (土)

天山と流星

流星は、攻撃5と攻撃256に供給される予定でしたが、生産数が上がらずに攻撃5だけで終わっています。ただ、攻撃256は攻撃5と同じ頃フィリピンから内地へ引き上げているのですが、「内地に帰還して流星に機種改変される」という話があったそうで、また天山が供給されたのでがっかりした、という回想を残している方がおられます。

天山一二型であれば260ノット、偵察装備ならば270ノットだせるんですが、それでも流星の300ノット、急降下可能というのは魅力的だと思います。

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2012年2月11日 (土)

なぜ昭和20年以降に試製飛行機の兵器採用が行われなかったのか

記録を見るかぎり、昭和19年12月以降、試製飛行機の兵器採用は行われていません。ゆえに紫電改や彩雲、彗星43型といった飛行機は、試製、仮称の冠を外すことは出来ませんでした。

ただ、ちょっと気になったのは、搭乗員の方々が持っている航空記録(終戦時に焼いてしまった方多数ですが)にも、搭乗した時の記録を見ると試製とあるそうなんですね。試製飛行機に搭乗した際には、搭乗員の方々には恩恵もあるそうなんで、ひょっとすると搭乗員らのことを考えて、故障しやすい飛行機などは敢て試製のままにした可能性もあるんじゃないかなーと思い始めています。

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2011年12月14日 (水)

一号戦と二号戦

昭和17年8月、二号戦(零戦三二型)がラバウルへ進出しますが、直後にガダル戦が始まったことも手伝い、すっかり役立たず扱いされてしまいます。しかし、二号戦はどうやらカタログスペック以上の速度が出せたようで、二〇ミリ機銃の弾数増強と共に一号戦に比べ15ノット以上速いと認識されていたようです。

その後、二号戦もこなれて、飛行場が増設されて航続距離の問題が小さくなると、逆に二号戦が評価されるようになったのでしょう。

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2011年8月27日 (土)

零戦五二丙型と六二型

昭和20年春、零戦の生産は中島では六二型に移行していますが、三菱では五二丙型のままだったようです。これは三菱で生産しているのが夜零戦で、中島が昼作戦用なのかと思っていましたが、夜零戦を主用していた戦闘九〇一でも零戦六二型の供給を受けていることに気が付きました。

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