カテゴリー「マリアナ沖海戦 ~母艦搭乗員 激闘の記録~」の26件の記事

2014年4月28日 (月)

サイパンの零戦

サイパン島陥落時、多数の零戦が鹵獲されています。中には状態の良い機体も混じっており、そのうちの1機がオリジナルの栄発動機を搭載した零戦としては唯一飛行可能なことも知られているかと思います。

それでは、なぜ、サイパン島でこのような事が起こったか、推測してみましょう。

サイパン島には261空、265空の零戦が所在していましたが、6月11日に飛行可能な機体は邀撃にあがっています。ということは、地上に残された機体は空戦後不時着した機体か、何らかの理由で飛べない修理中の機体ということになるでしょう。要修理の機体であれば、航空隊から一旦航空廠に預けられ、修理が試みられます。サイパンのアスリートにも航空廠の施設がありました。

6月11日、サイパンにある水上機、陸上機の航空廠の施設も空襲を受け、破壊されるか、炎上する被害を出しています。さらに翌日も空襲が続き、そのため航空廠の人員は施設を放棄して退避することとなります。13日も熾烈な空襲が行われ、さらに退避していきます。。。そして15日の上陸を迎え、そうそうに陸上飛行場は機材もろとも奪取されてしまうわけです。つまり、機材を管理すべき航空廠の人員が退避して、そばに居なかったため、このように破壊されずに残ったのではないか、と。

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2014年3月30日 (日)

呂第115潜水艦あ号作戦時の戦闘詳報より

19日1807 「ワスプ」型空母に対し95式2型魚雷4本を距離1000で発射するも命中せず。

その他報告で気になったのもは、

・「ノースカロライナ」型1隻は迷彩を施したるものあり。その他は概ね鼠色に濃緑色を混したる塗色をなす

・駆逐艦は煙突が直立2つか斜め2つの2種類あり。

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2012年12月29日 (土)

昭和19年6月23日サイパン沖

昭和19年6月23日深夜、サイパン沖で停泊していた舟艇群が高高度より爆撃され、LSTなど2隻が損傷している。夜間、しかも高高度からの爆撃で命中弾を得るなんてどんな爆撃手が乗っていたのか、という話にもなりそうだが、実際はこの飛行機は海軍の一式陸攻で、陸上の飛行場と思って爆撃、飛行場と高角砲陣地に命中弾を得た、と報告している。いわば誤認ということになろうか。

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2012年10月 8日 (月)

そんなこともありました

当方、PCをメンテに出したり、いろいろと忙しく過ごしています。

ちょっと思い出したんですけども、マリアナ沖海戦の編制表作っている時に、戦闘詳報の原本にはとある方の氏名がありました。当然、その方がおられたものとして、ご存命だったその方にご連絡をとってみたところ、そのかたはその当時、別部隊におられた、どれどころか、専修は陸攻なので母艦には乗ったことがない、というご返答をいただきびっくりしたことがあります。どうやら編制表の誤記だったらしいのですが、その方の同級生がまとめた資料にも、損の方が母艦にのって出撃したことになっていたとのことでしたが、訂正するのも面倒だったのでそのままにしている、ということでした。

いろいろ考えさせられた話でした。

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2012年2月11日 (土)

むかしばなし

 拙著「マリアナ沖海戦」で記述した通り、祖父の弟は軍楽隊で「大鳳」艦上で戦死しています。先の1月、田舎の親戚(祖父の妹?の息子)がやってきて、その話になった。なんでも1回実家に帰ってきた時、一緒に駅まで歩いたことがあったとか。それと家に残されていた楽器はまだあるんじゃないかなーという話でした。

それと、軍楽隊で富士山に登った時の写真やら、久しぶりに見ました。裏書には昭和11年とありましたね。

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2009年6月21日 (日)

戦果を挙げる=練度が高い??

すなわち、戦果が無い=練度が低いってことだろうねえ。

そういうのは、武運があった、なかったっていうのが正しい姿勢だろうに。

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2009年3月14日 (土)

いくつかの戦友会に参加して

・大鳳会(乗組員関係)

解散時(2003年だったかな?)に副会長が仰っていた「慰霊というは靖国神社にお参りにくるのみではない。気持ちです。例え、体が動かなくなっても、布団の上で手を合わせて心で祈ってください」というような言葉が印象に残っています。

・潮会(第1機動艦隊関係)

・小野会(攻撃262関係)

山田さんが戦後夢の中での話し。小野隊長が飛行服を着た状態で玄界灘を泳いでくるんだ。「隊長!」と声をかけたとたん眼がさめて、というのが3回ぐらいあって・・・。という話しが一番かな?

・47期海機の会

「私は教官として兵学校、機関学校などに赴任したが、この期が一番すばらしかった。それをみなさん(遺族)は忘れないで下さい。本当に最高の期でした」

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2008年11月 9日 (日)

1年たちました

ここ1ヶ月ほど風邪で調子悪いです。

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2008年9月15日 (月)

同じ場所にいたとしても

これは言うまでもないことだろうと思っていたのですが、けっこう勘違いしている人がいるみたいなので書いておきます。

人間、同じ場所にいたとしても、必ず同じ感想となるわけではありません。それまでの生活や立場が異なれば、感じ方が違ってくるのです。偶然、結果的に同じになることがあっても、必然ではないということです。例えば、戦後のマリアナ沖海戦について司令長官であった小澤さんと参謀の大前さんでは、同じ質問であってもだいぶ違う受け答えしているな(私は大局を見ているか、否かに感じました)、と思いました。同じように同じ飛行機に乗っていても操縦員と偵察員ではまた違ったものになってきます。

まあ、そう言うことだと思うので、いろいろな史料に目を通しましょう!

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2008年7月13日 (日)

現在の所の修正点

P226
誤:右が山内常雄大尉
正:右が田辺(山内)常雄大尉

P300
龍鳳飛行長
誤 山下丈二 → 正 山下政雄

P312,316
瑞鶴艦爆偵察員
誤 坂田清 → 正 坂田清一

P336
飛鷹艦爆操縦員
誤 星子冨士夫 → 正 星子冨士人

大澤様、高野様のご協力をいただきました。ありがとうございました。

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